Part3のあらすじ
一度ニューヨークへと戻っていたSalは1949年の春、一人でニューヨークからデンヴァ―へと再び旅立つ。その路上でSalの黒人に対する憧れを抱く。そしてサンフランシスコでDeanと再会するも、彼は親指に傷を負っていた。彼と町へ繰り出し、そこで登場する多くのJAZZミュージシャン達。DeanやSal達は彼らの音楽に酔いしれる。そして、もう一度ニューヨークへ戻るためにハンドルを握るDean、そしてデンヴァ―からシカゴまで17時間という"crazy record"な旅。ここではビート・ジェネレーションに大きく関係する “Beatific”という単語も初登場する。
Part3内のアメリカ文化的描写
アメリカ特有の文化や法律、作品内に登場する他の作家たち、
当時のファッションなど興味深い項目を写真とともに解説。
Eugene Sue’s Mysteries of Paris
ウジェーヌ・シュー『パリの秘密』
19世紀半ばにフランスで刊行された、パリの下層社会を描いたベストセラーの大衆小説(「オン・ザ・ロード」青山南訳より)
Longfellow
ヘンリー・ワーズワース・ロングフェロー(1807~1882)
アメリカ合衆国の詩人。代表作に「ポール・リビアの騎行」「人生讃歌」「ハイアワサの歌」などがあり、ダンテの「神曲」をアメリカで初めて翻訳した人物でもある。
Denver colored section
デンヴァ―の黒人地区(有色人種地区)
※Jim Crow laws(ジム・クロウ法)
1876~1964にかけて存在した人種差別法を参照。黒人、ネイティブアメリカン、黄色人種、混血者など白人以外の有色人種はJim Crow lawsの対象であった。
↓Jim Craw Museumのヴァーチャル見学
Part4&5のあらすじ
Salは西に向け再び出発。DenverでDeanと合流し、Sal、Dean、そしてStanの3人で次は南部(メキシコ)へと旅立つ。魔法の地、メキシコは彼らにとってとても魅力的で天国のようだった。そこで赤痢にかかってしまったSal。そんなSalを置いてDeanは去ってしまう。そしてニューヨークへ戻っていたSalの元へやってきたDeanに彼は別れを告げる。去り行くDeanの後姿をみながら、どうしてもDeanが気になってしまうSal…
だれにも、だれにも、これからどうなるのかはわからない、見捨てられたボロのように年老いていくことしかわからない。
そんなとき、ぼくはディーン・モリアーティのことを考える、
ついに見つからなかった父親のオールド・ディーン・モリアーティのことも考えながら、
ディーン・モリアーティのことを考える。
(『オン・ザ・ロード』青山南訳 河出文庫)
Part4&5内のアメリカ文化的描写
アメリカ特有の文化や法律、作品内に登場する他の作家たち、
当時のファッションなど興味深い項目を写真とともに解説。
Bobby Thomson
メジャーリーグ史に残る伝説の選手、ボビー・トムソン。彼が1951年に放った逆転サヨナラスリーランホームランは今も「the shot heard ‘round the world」としてもっとも有名なホームランの一つ。スコットランド出身の選手で、主にニューヨーク・ジャイアンツで活躍、その後は複数のチームを回った。
Gil Hodges
彼は50年代を代表するメジャーリーガーの一人。彼の18年間のほとんどのキャリアをブルックリンとロサンゼルスで活躍し、最後の年にニューヨーク・メッツに移り、引退している。その後は監督としても野球と携わった
Joe DiMaggio
野球を知らない人でも一度は聞いたことがあるほど有名なヤンキースを代表するスラッガー。彼の56試合連続安打はいまだに不動の記録。イタリア系の移民で、幼いときは貧しい暮らしを強いられたが、年齢を重ねるとともに野球センスは爆発し、ヤンキース入団から引退まで13年間一筋でヤンキースを引っ張り続けた。もちろん彼の背番号5番はヤンキースの永久欠番である。あのマリリンモンローの旦那としても日本人からは知られている。
Lucky Millinder
アメリカのリズムとブルースとスイングのバンドリーダー。彼は音楽の読み書きができず、楽器を演奏せず、歌うこともほとんどなかったが、彼のショーマンシップと音楽の趣味はバンドを成功に導いた。
Major Hoople
Gene Ahernの描いた新聞連載漫画 "Our Boarding House" (「僕らの下宿屋」)の下宿屋のおやじで、チビで太鼓腹でちょびヒゲの中年のペテン師。